アナ・アスランとは?

アナ・アスランは、すばらしい老人病治療の確立と、老年学への重要な貢献によって、その名を広く世間に知られています。彼女はそれまで多くの人が老化に対して抱えていた、悲観的な思いこみを取りのぞき、その予防と治療を行うという、新しい方法を提供した人物なのです。

私はルーマニアの首都ブカレストで、25年間、アナ・アスラン博士とともに仕事をしてきました。1963年は、彼女のために調査をし、1978年から1990年にかけてはチーフ医師、また最終的には、国立老人医学研究所理事をつとめました。そして彼女の死までの3年間、主治医をつとめた縁で、彼女から個人的な依頼をいくつか受けました。その中のひとつが、彼女の生涯とその仕事を一冊の本にまとめることで、彼女の遺言を実現するために、私は努力を惜しまないことを、その病床で誓ったのでした。彼女とは個人的に話す機会も多く、政治、宗教的見解、安楽死、臨終、死、愛といった、多岐にわたる彼女の考えに接することができました。

彼女の90歳の誕生日である1987年5月22日、ルーマニア・アカデミーで行われた厳粛な祝賀会で、私は国立老人医学研究所の代表として、「アナ・アスランの複雑な魅力について語るのは、とても難しいものですが、プロ・ゲロバイタルH3 について話すことが、すなわち彼女の人生を語ることだと言っても、決して過言ではないでしょう」と述べました。

生涯を通じてアナ・アスランは、世界中の高齢者の生活が少しでも良くなるよう願い、“威厳を保ちながら可能な限り長生きする”という、人類の願ってやまない夢の実現のために、あらゆる努力を惜しみませんでした。彼女は、1952年から35年もの間、発明家として、科学者として、医師として、そして博士として、あらゆる立場で、世界初の老年医学協会の一員たるよう私達を導いてくれた、本当に偉大な人物でした。彼女はまた、1983年ウィーンで開催された、老化における国民連合協会の、総会開催にも尽くしました。

科学者としての彼女は創造者であって、決して模倣者ではありませんでした。彼女は、プロ・ゲロバイタルH3 が、老人医学に対して最も影響を与える物質であることを証明する、10組もの研究結果を世間に提供するなど、老年学における重要な役割を、世界的レベルで果たしたのです。彼女は、細胞と分子の老化に関する基礎研究と、プロ・ゲロバイタルH3 が人体にもたらす効果についての研究において、最初に貢献した人物と言えるでしょう。

アナ・アスランは、老年学大使であるだけではなく、同時に一人の素晴らしい女性でもあり、美と文化にも、非凡な理解を示す人でもありました。いちどヒッポクラテスの墓を訪れたおりに彼女は、「自分の存在が、どれだけ小さいかが良く分かる」と言ったものです。私は彼女の弟子として、協力者として、彼女から多大な影響を受けた者として、声高らかに言わずにはいられません。「アカデミア万歳!博士万歳!アナ・アスラン万歳!」

非凡な経歴

1. 1969年/イタリア Meritor della Republica指導者賞受賞。
2. 1971年/ニカラグア ゴールドメダル受賞。
3. 1971年/ドイツ 十字勲章、第1級メリット勲位受賞。
4. 1971年/ルーマニア 社会主義労働者偉人賞受賞。
5. 1972年/ベネズエラ Augusto Pinaudメダル受賞。
6. 1973年/イタリア Cavalier de la Nouvelle ヨーロッパ年間最優秀賞受賞。
7. 1974年/フランス Les Palmes Academiques 受賞。
8. 1974年/イタリア インターナショナルEva賞受賞。
9. 1975年/オランダ De Orange Nassau 指導者賞受賞。
10. 1976年/セネガル L'Order du Merito グランドオフィサー賞受賞。
11. 1977年/イタリア Dag Hamarskjoeld インターナショナル賞受賞。
12. 1978年/ニース Dama di Collare del Santo Graal 賞受賞。
13. 1978年/マニラ 外国人名誉科学博士号受賞。
14. 1978年/フィリピン フィリピンアカデミー、フィリピン老年医学・老人学協会開催シンポジウム、Ageing Comes to Age 総長、および名誉招待客。
15. 1979年 Merito della Republica Italiana オフィサー賞受賞。
16. 1982年 La Medaille et le Prix “Leon Bernard”La 35eme Assemblee Mondeali de la Sante

アナ・アスランについて書かれた資料文献一覧

1. アメリカ名士録(1972)
2. 世界名士録(1971)
3. 女性名士録(1971)
4. ブリティッシュ大百科事典(1974)
5. 知的名士録(1976)
6. ザ・インターナショナル偉人録(1976)
7. イギリス・バイオロジカル・インターナショナル協会(1978)

Dr.Dumitruによるコメント

老齢人口は統計によると、この先10年間、増加し続けると考えられます。人類史上、非常にユニークなこの現象について、私は危機の念を抱かずにはいられません。私達は今後、どのような戦略と手段を持って、この問題に取り組んでいけば良いのでしょうか。

人類社会には、知識や経験による組織だった方法で、人々が自由で賢明な老後を過ごせるよう、手助けをしていく義務があります。行動的に生きること、すなわち高齢者にとって、精神的そして体力的に、健康に過ごせることこそが、個人やその家族レベルにとどまらず、社会的レベルから見ても非常に有益なことなのです。私達がこれまで老いに対して抱いて来た、“労働能力に欠ける”“介護が必要である”“孤独である”といったあらゆる固定観念を、今こそ取り払うべきなのです。

高齢者というものは今まで、人口統計学的、医学的、または社会的というあらゆる見地から見て、人口の範疇に入れられず、異なった別の種類のものと見なされてきましたが、このようなとらえ方は年々すたれてきており、現代では、完全に流行遅れの感さえあります。あるいは単に、地域社会における高齢者が果たす役割の、機能的感覚であると見なされます。つまり、あらゆる分野における調査が、“活動的な老後を奨励すべきである”という解答を提供しているのです。老年期に楽天主義を支持すること、人生のラストステージに向けて、新しい姿勢でのぞむことが、私の意見であり、提唱なのです。

“永遠の若さ”というものは、いつの世も人類最大の欲望であり、つねに人々の関心ごとでしたが、過去10年ほどの間に、それはいっそう強まりました。もしも過去数千年に及ぶ、あらゆる記憶をのぞくことが出来たなら、複雑にいり組んだ人類の老化の数式が、解き明かされたかもしれません。いずれにせよ人類とは、老化や死を、そのまま受け入れることができないものなのです。

私は過去40年間、老年医学を通して、老化と老年について患者と話し合い、老化が原因である疾患の、予防と治療の研究に専念してきました。ルーマニアの首都ブカレストで、老人病学に関する機関である国立老人医学研究所に25年間つとめ、そのうち11年間を、名高いルーマニアの医師、アナ・アスランのそばで過ごしたのです。そこでは、世界中のあらゆる年齢の患者を検診する機会に恵まれ、彼らの考えや関心ごと、さまざまな疑問に直接ふれることが出来ました。

たとえば多くの若者は、老化や死、病気といったものを、自分の身にも将来ふりかかる、現実のものとして受け止められないでいます。その一方で病気に苦しむ若者達は、“終わり”を簡単に望んだり、あらゆる手段を、その安全性も考えずに、すぐに試さずにはいられないなど、彼ら自身の健康に対して、何の敬意も払わないように見受けられました。また、ある婦人達は、更年期は老化の始まりであると信じ、嘆き悲しんでいました。しかしその反面、百歳を超えるほどの老人が、健康的に活発に行動し、その年齢での美を願い、彼らの卓越した見識を持って、人生を捉えていました。もちろん、すべての老人がそうだったわけではなく、持病に苦しむばかりか、自分の子供達からも見捨てられ、一人寂しく暮らしているような人達もいました。いずれにせよ、これらすべての人達が、私の老人医学研究にとっての良い教訓になりました。

アナ・アスランが亡くなるまでの3年間、運命が私を彼女の主治医にしました。この期間を通じて、私達は非常に親しくなり、ともに多くを語り合うことで、彼女の個人的な考え、老化と戦ってきた彼女自身の人生、その苦しみといったものを知りました。そして彼女に質問することで、独自のアイディアを教わり、世界的に最も有名な医師であり、老人医学というものに心の底から魅せられていた、彼女の信念を学び取りました。彼女は自宅のテラスで、会話をさえぎるものはナイチンゲールの鳴き声だけという静かな午後の時間を費やし、実に多くのことを私に語ってくれました。その内容は、彼女個人の考え方、彼女が過去に訪れた84もの国々で出会った人々や文化、そして彼女と交流のあった数多くの有名な医師達についてなど、実にさまざまでしたが、やはり、最も多く語り合ったことと言えば、彼女のたった一人の息子とも呼べ、人々の暮らしを向上させるプロ・ゲロバイタルH3 の歴史についてでした。

生物学的見地から考えて人間というものは、だいたい40歳を超えると、老化についてさまざまな疑問を感じ始めます。老化の過程とは、いったい何であるのか?老い対して、どのように対処していくべきなのか?老化を先延ばしにしたり、食い止めたりする方法はないのか?老化の過程を早める要因はいったい何なのか?死について、もっと学ぶべきだろうか?自分自身の死について、それぞれが決断を下す権利があるのか?年を取ってからの性的生活はどうなるのか?またそれは、向上することができるのか?異なる世代とのかかわり方は、どう変化していくのか?家族に対して、また地域社会において、老人の役割とは何なのか?このような疑問は、尽きることがありません。

アメリカ、イギリス、ドイツ、フランス、ルーマニアといった国々で、現在おこなわれている老人医学教育とは、すなわち“寿命を延ばすこと”であると私は考えます。そして、私自身の老人医学研究経験から、そのような考え方を、老齢での生活に強さと積極性を与えるものとして、高く評価しています。その昔、年をとるということはすなわち、関節炎や糖尿病、うつ症状などのさまざまな病気を、嫌でも抱えながら生きることだと考えられていました。しかし、このような考え方は、現在ではかなり改められてきており、現実のものとして受け入れられなくなる日も、そう遠いことではないでしょう。

要するに、すべてあなた自身の生き方と、どのような栄養補給物を取るかが決め手となるのです。あらゆる行動が、体重増加を防ぐこと、無気力状態に陥らないようにすること、ストレスを溜めないように心がけること、精神的に若くあり続けるよう努力することなど、いかにして若さを保っていくかということに関わってきます。自分の人生をどのように生きるべきか、年を取ってからも尊厳を失わず、積極的に生きていくには、どうすればいいかなど、さまざまなことがらについて、これから先、私にできる範囲でお答えしていこうと思います。

“美しく、尊厳を持って老いていくことは、すなわち科学であり、芸術である”―アナ・アスラン。

老化のプロセスと老齢について

アナ・アスランは、多くのレポーターや研究者達から、次のような質問を受けることを、いつも光栄に思っていました。「1940年代、人々が老人医学について、まだあまり関心を持たなかった時代に、いったい何があなたを、老化についての研究や、年老いた人々への配慮といったものに献身させたのですか?」そしてまた、その質問に答える彼女は、つねに懐旧の念に満ちていました。「私は50歳でそれまでの経歴をすべて捨て、これからは老人医学に生涯を捧げようと、全く別の新しい人生を選択したのです。

内科および心臓病理学専門医であった当時、1945年1月1日、私は一通のカードを受け取りました。そのカードは私の患者達からのもので、「新年おめでとう!私達の体は、もはや壊れた玩具も同然です。先生は、くれぐれも健康にはお気をつけて。あなたの古い患者達より。」とありました。私はこのカードを、くり返し、何度も何度も読みました。“壊れた玩具同然”という言葉は、私を動揺させ、私の心に取りついて離れませんでした。私は自分自身に問いかけました。壊れた玩具は修理できるはず。年老いた人々を助けるため、私にできることは何だろうか?このカードに書かれてあった言葉が、私の心の中で種となって宿り、花を咲かせ、残りの私の生涯を、年老いた人々の治療と研究に捧げることを決心させたのです。“時”というものが、生物にとって致命傷をもたらすものであり、人類に明確な限界を刻印するものであるということを、高齢者の人々が、私に教えてくれたのです。この記念すべきカードは、今でも大切に取ってあります。

現代社会において私達は、高齢者人口の増加と、医学技術の進歩という、二つの重要な問題を抱えています。私達の平均寿命の変化は、前世紀の40~50歳から、現在では78歳以上という、目を見張るものがあります。孫やひ孫の面倒を見ながら、ともに人生経験を分かち合うというようなことは、昔の人々にとっては、まさに離れ業のようなもので、とうてい成し得ないことでした。しかしこの先、西暦2000年には、60歳を超える人々が、地球上の全人口の15~20%を占めることになるでしょう。65歳以上の高齢者人口は、1950年代の2億から、1985年には4億にまで増えています。これは2000年には6億に達すると予測され、2025年にいたっては、10億を超えるでしょう。このような高齢者達は、全人口に対して、どのような関りを持っているのでしょうか?彼らは、通常の社会から除外されるべきでなのでしょうか?このような問いかけに関する答えは、老人医学の立場に限らず、哲学、宗教、政治、経済といったことにも大きく関係してきます。

老人医学とは、医学と、人体機能改良の研究という、二つの立場を通して高齢者と関わっていくことで、老化の過程を明確にし、“老い”と“病気”の違いを、はっきり区別することです。どちらか一方では、老化に関する基本的な疑問すら解決できませんが、両方が合わさることにより、有力な力が発揮できるのです。

老化は誰もが避けて通れない“時間の経過”という道で、精神と体の調子が変化するものですが、病気は不慮の出来事であり、正常ではなく、異常な過程であり、子供、大人の区別なく発生し、高齢者に限って生じるものではありません。また病気は、予防や治療が可能であり、たとえ慢性化した場合でも、多少なりとも緩和することができます。病気は、しばしば老化の過程に隠れているものなので、十分に注意するとともに、その本質を見極める必要があります。

老化の過程というものは、すでに胎児の時点から始まっているもので、幼年期、青年期、成人期、そして高齢期と続きます。老齢は、人生の最終段階と言えますが、まず最初に、視覚と卵巣の働きが低下し、老年期に入ったことを知らせます。すなわち、老人環(老人の角膜に見られる輪状混濁)や、月経の停止などの諸症状が現われると、一般にそれが、老化現象の始まりとされるのです。しかしここで、老化というものは、遺伝子的、または環境的要因に、大きく影響を受けるということを理解して頂きたいのです。さまざまな要因の違いにより、老化現象は早まったり、また反対に、遅くなったりするのです。つまり、一人一人の人間が、それぞれ異なった時計を持っており、その違いによって、老化の早い人もあれば、遅い人もあるのです。

栄養、肉体、環境的要因、生き方、ストレスや病気の有無、またプロ・ゲロバイタルH3 による治療を受けているかどうかなどが、老化の周期に大きく影響を及ぼします。40歳を過ぎると、実に30~60%にも及ぶ筋肉が、脂肪組織に変化してしまい、また、関節の柔軟性、筋肉の強度、肺のガス交換率、血管の伸縮性、心臓の能率といったものすべてが、年齢とともに退化していきます。しかし、老化が原因とされる、骨の組織などにおける重大な変化は、しかるべき手段を持って未然に防がれるべきです。

年齢を重ねることは、“精神の状態”にも影響を及ぼします。その治療は、とても難しいものですが、深い理解、建設的な作業、愛情と包容力、思いやりと友情を持って、根気良く応対すべきです。老年期とは、孤独で痛みに満ち、病気とその高い治療代に苦しみ、複雑な社会に悩まされるといったことになりがちです。グリーグ(ノルウェーの作曲家)は老化を、“減少していくもの”とし、ユウェナリス(ローマ帝国の政治社会を風刺した詩人)は、“老いとは、死よりも悲惨なものである”とあらわしました。

しかしながら、日常生活において、また文学や、おとぎばなしの世界において、老齢の栄光がすべて失われてしまったわけではありません。しばしば老人は、親切な賢者として描かれ、積極的な役割を果たします。彼らは活発に行動し、人々を助けながら難しい状況を解決し、彼らの創造性を価値あるものにします。そして、周囲の人々から尊重され、生き字引として、また歴史の番人として扱われ、使命感を帯びたキャラクターや、その的確で見事な判断によって、発明家のように重要な存在になっていきます。

老化とはいったい何であるか、また、どのようにして戦っていくべきかをたずねたところ、アナ・アスランはこう答えました。「老いとは、苦しみと痛みに満ちていて、それに気づいていようがいまいが、ゆっくりと、しかし確実に、人々の体を支配していく寄生虫のようなものだと思う。老化との戦いは、すでに50歳から始まっていると明言しても良い。でも、老人学と老人医学には、老化の始まりと過程を遅らせる可能性が満ちています。病気の人と健康な人の両方に対して、年をとることの意味、寿命を延ばして快適に暮らすために、必要なことを教えていくこと、そして、彼らを老化から守っていく義務が、私達にはあるのです。その結果として、私がたどり着いたのが、プロ・ゲロバイタルH3 なのです。これは単なる治療薬ではなく、人類にとっての希望です。希望が失われてしまったら、後には何も残りません」

アナ・アスランの偉大な経験

“アナ・アスラン自身の言葉より”

自分の信念を貫くため、私はいったんブカレストを去らなくてはなりませんでした。その決断は、決して容易ではありませんでしたが、その当時、私を取り巻く環境には、新鮮な空気が十分ないように思われたのです。素晴らしい明かりは、創造意欲を沸きたてるだけでなく、同時に多くのものを見せてくれます。大木は大きな日陰を作るため、その下には小さな木しか育ちません。新しい種は、他の肥沃な土地を求めて、風に吹かれて運ばれるべきなのです。

たとえばティミショアラ(ルーマニア西部にある、ユーゴスラヴィアとの国境に近い都市)で医療学校を始めるなど、彼女には、実に多くのアイディアがありました。ここで彼女は、有名なLoriche博士の生徒であった、Pius Branzeu 医師と出会います。彼とともに、切開手術後のノボカイン治療について議論を交わし、後に、気管支喘息患者に対する、Dos Ghali のノボカイン静脈投与方法についても学びました。彼女はまた、C.I. Parhon 博士の研究についても積極的に学びました。30年にも及ぶ臨床的、実験的診察を通して得たParhon 博士の見解は、老化とは病気の一種であり、治療によって治癒するものであるということでした。彼は1908年に、老齢患者における二つのケースの骨軟化症の診察について発表し、1925年には、老人生理学という、年齢に関連する形態学的、化学的、生理学的変化を紹介しました。

私はティミショアラの医療研究所で教えるかたわら、Marinescu、Parhon、Metchnikoff、Charcot、Burger(老人学の第一人者)といった人々の研究文献を読むなど、老人学における基礎概念について学びました。交友を維持し続けたParhon 博士は、1946年から、ブカレスト内分泌学協会会長、および内分泌学科の教授長をつとめていました。当時の私は、彼と話をするためだけに、月に1度ブカレストに戻っていたのです。

Parhon 博士こそ、老人学におけるパイオニアです。彼は、松果体や性腺からの抽出物、インスリン、ビタミンEといったものを投与して、患者の治療にあたりました。1909年に彼の初めての著書、『世界の老人学』が出版され、続いて1955年に『年齢の生物学』が出版されましたが、これらは多くの国々で翻訳されました。彼が心血を注いだ老人学を通しての私達の結びつきは、特別なものでした。彼は若返りというものを信じ、生命には一方向しかないと言う考え方は間違っていると強く主張しました。博士はとても博識で、植物学、動物学、老人学、精神医学、そして人類学といった多くのことに精通しており、彼自身がまさに大百科事典そのものでした。さらに言うなら、人間的にも素晴らしい人で、寛大で、実に献身的な人でもありました。彼は、医学のために、彼自身の家族をも含め、ずいぶん多くを犠牲にしたことでしょう。彼とDanielopolu は非常に対照的な人達でしたが、このお二方なくして、今日の私は考えられません。

1946年、ノボカイン研究についての、私の初めての著作、『注射投与した場合の呼吸率に関するノボカイン作用』が出版されました。血管塞栓症における、ノボカインの最初の成果が得られた後、私はそれを、関節炎患者と、骨や関節が強直する傾向のある患者に用いてみました。これらの病気は長引くものなので、回数多く投薬したのですが、回復の兆しが現われただけでなく、非常に喜ばしいことに、総体的な体の調子まで良くなったのです。治療を始める前の患者は、その痛みのために、体を動かすことができませんでした。患者たちは、歩けるようになること、本を読めるようになること、椅子から立ち上がれるようになること、そして話せるようになること、これら通常の日常生活を、どれほど渇望していたことでしょう。何よりも最大の報酬は、彼らが生きる意欲を取り戻したことでした。

この治療によって睡眠も改善されことで、私は、ノボカインは神経精神性組織に働きかけるのではないかという仮説を立てました。そしてこの仮説を検証する機会に恵まれるまでの2年間、私はこれらの研究を記録し続けました。1949年4月15日、関節症を患っている医学生が、私達の研究所を訪れました。3週間もの間ひどい痛みに悩み続けた彼に、私はノボカイン治療について説明し、彼の承諾を得てから、1%のノボカインを動脈注射しました。すると、たちまち彼の膝は動くようになり、足を自由に曲げられるようになりました。何とすばらしいことでしょうか。この治療を2週間続けた結果、彼は完全に回復したのです。

その当時、診療所の近くに公園があったのですが、ある日私はそこで、松葉杖をついている一人の老人を見かけました。後にヴィンセント・ヴァン・ゴッホの絵にも描かれた人です。頭を抱えて、うなだれた姿勢でベンチに腰掛けている彼は、絶望感で全身が包まれていました。その近くには、お互いを支え合いながら、少しずつ、ゆっくりと歩いている年老いた夫婦がいました。彼らは黙ったままでしたが、それぞれの顔に刻まれた深いしわは、実に多くの年月を語っていました。彼らの歩きぶりは、これから先、一生涯続くと思われる、支え合いの象徴のようでした。私は自分自身に問いかけました。彼らはなぜ、そんなにも深い苦しみを抱えなければならないのか?何とかして、彼らの力になれないだろうか?私にできることは何だろうか?あの医学生の関節炎治療に使った注射薬で、このような人達を助けられないだろうか?そうすれば、この人達はもう一度、自分達の足で歩けるのではないか?

それまで私はいつも、ブカレストで週末を過ごしていましたが、その週は予定を変更して、もう一度この公園を訪れました。その時、私の頭の中は、高齢者のことでいっぱいだったのです。老化というものに圧倒された彼らに対して、深く同情せずにはいられませんでした。何かが私をとらえて離さず、この問題について、深く追求せずにはいられなかったのです。その晩、Loricheがノボカイン注射を負傷の治療に使ったことに考えをはせ、それならば、このような人達にも効果があるのではないかと思いました。そして、すっかりその考えに取りつかれてしまったのです。

1946年にDanielopolu医師とともに薬力学の研究をしたことで、翌年から2年間もの間いっそう、この考えが私の心を捉え続けました。それまでの私は、ノボカインをDos Gahaliの治療法に従って気管支喘息の治療に、Loricheの治療法にもとづいて関節炎の治療に用いていました。この考えについて確かめるため、私はさっそく、ブカレストに飛びました。その結果Danielopolu医師は、すぐにParhonに相談するべきだと言い、Parhonは、「ノボカインには間違いなく老化に対しての効能がある。君はこれから、細心の注意を払いながら研究を続けるべきだ。ブカレストに戻って、我々の実験室を率いてくれないだろうか?私の方ですべての手はずを整えるから、君はただ来てくれるだけでいい。ぜひ承知してほしい」と私を口説いたのです。私はこの申し出を受け入れることにし、それから数ヶ月後には、再びブカレストに戻ることになったのでした。ティミショアラで始まった私のこの冒険は、ブカレストに場所を変えて続けられることになったのです。

しかし実は、ここからが苦難の始まりでした。1949年の秋、私は、それまでの研究結果を医学学会に発表したかったのですが、当時、同僚による私への誹謗中傷が高まりつつありました。彼らは声をそろえて、私が研究発表することに反対したのです。「少なくとも、25件くらいは事例がないとね」と彼らは言うのです。そして最終的には、学会に向けて予定していた研究すら拒絶されました。大丈夫、私は自分自身に言い聞かせました。あのアルツハイマーは、彼の説をたった一つの事例にもとづいて発表したのだし、ホジキンの事例だって6つだけだったのだから。

Parhonが内分泌研究所を去ってからというもの、このような嫉妬による反発は数を増し、時に私は挫けそうになることもありました。それでもたったひとつ、彼らに感謝することがあるとするなら、それは、私の辞任と、ブカレストに戻ることに同意してくれたことでしょう。時が過ぎるとともに、こういった逆境が私をますます野心的にしたのが、よく分かるようになりました。私は自分自身が正しいことを知っていましたから、どうしてもそれを証明する必要があったのです。議論なしの人生は、時に単調になるものでしょうが、私の場合は不幸にも、学会の論争の域を越す、いささか度が過ぎるものでした。まあ今となっては、もうどうでも良いことですが。とっくの昔に、彼らのことは許しました。私にとって大事なことは、Parhonとの共同作業でした。彼は私の良き理解者であり、精神的支えでした。彼のおかげで、私は研究を続けることが出来たのです。

アスランが研究発表をするやいなや、大勢の人が(その多くは、持病を抱えた人)彼女の診療所を訪れ出しました。彼女の診療所のおかげで、それまで無名だった土地が、一夜にして医療の中心地となったのです。また彼女の治療について学ぼうと、多くの科学者達も訪れました。彼らは、治療を受けた老齢患者達の、「生きる喜びを取り戻した」「もと通り、自由に体を動かせるようになった」「不眠症の悩みから開放された」という、数々の証言に戸惑いました。最も有意義なことは、以前は社会から拒絶され、敬遠されていたような人々が、自らの社会的役割を見出せたということでしょう。このような彼らの証言は、アスランの治療の効果と、彼女の作り出したプロ・ゲロバイタルH3 の効能を語るものであり、患者達に、どれだけの安らぎと希望を与えたかを実証しています。

本当に多くの医師たちが、アスランの治療法と、老人学、老人医学を学ぶために、この診療所を訪れました。その一方でアスラン自らも、さまざまな国々に出向いて行きました。その中でもアスランは、ドイツのMarion Bucker Bode医師を、非常に高く評価していました。彼女は老人医学センターを率いるだけでなく、研究にも熱心に取り組んでいました。またアスランは、キプロス共和国のPop Michel医師のことも、高く評価していましたが、彼らを含めた、実に多くの人々が、老化と戦ったアスランの信奉者でした。

アスランの業績に対する数々の称賛

彼女の仕事は、世界的に高い評価を得ました。その中の一部をここで紹介します。

* 「アスラン教授の研究所で行われていることに、非常に興味を持った。彼らの研究は、世界を魅了するものだ。アスラン教授は、神経組織の働きを解明し、生物機能の働きを延長するための、真の道を見つけたと思われる。私自身、アスラン教授の治療法は成功したと確信している。彼女の素晴らしい研究による証明に、感謝の念が絶えない」R.Bacov 。1958年9月、アスランの研究所を訪問。モスクワのPavlov研究所長であり、アカデミー会員でもある。
* 「アスランから学んだ、革命的な治療方を立証」ロバート・A・ホームス医師。ワシントンにある病院でチーフを務める。
* 「この重要な分野での、素晴らしい研究を高く評価する」Hollings E、ハワード・W。ネバダ州上院議員。
* 「アスラン教授の、さまざまな角度からの、徹底した研究に注目」ハーバード大学薬理学科。
* 「アスランによって発展した社会的活動や、予防効果に関する確信に、非常に感銘を受けた」Nameche Louis 。ベルギー厚生省大臣。
* 「ルーマニア全土に渡って、高齢者の介護センターのネットワークを作り上げた、アスランの仕事を高く評価する。他の国々でも、このような彼女の素晴らしい業績を見習って、広く実地していくべきだと思う」Amulree。1966年以来ロンドン上院議員を務める。
* 「アスランの研究所で見たこと、感じたことのすべてに感嘆した。彼女の研究と、プロ・ゲロバイタルH3 の驚異的な効果を、非常に高く評価している」Iderwal de Carvalbo。ブラジル、サン・パウロ大学の精神分析病理学科教授。
* 「彼女の英知で持って成し遂げた、偉業に敬服する」フランシスコ・アントニオ教授。イタリア、フィレンツェ大学、老人学・老人医学研究所勤務。
* 「見事な教えに感謝します」Mario Giacoresso教授。ローマ大学メディカルクリニック勤務。
また、数多くのジャーナリストや作家、詩人といった人々が、現実的人生の限界を超えたとも言える高齢の患者達を取材するため、アスランの研究所を訪れました。
* 「ファウストの夢であった不老長寿の望みは、今世紀になって、世界に名高い女性、アナ・アスランの手によって成し遂げられた。多くの人々が、彼女の才能と、深い知識に感激し、感謝している」Galina Seredrinkava。
* 「彼女の成し遂げた業績は、ルーマニアにのみ名声をもたらしたのではなく、全世界に対するものである」A.Umar。新聞記者。
アナ・アスランは、彼女の生涯を通して、世界中の国々の人々から何千通という手紙を受け取りました。封筒に住所が書かれていないこともありましたが、“アナ・アスラン”とあるだけで、手紙は彼女の手元まで届いたのです。“ルーマニア”という国名さえ必要ないほど、彼女の名前は世界中に知れ渡っていました。手紙には、彼女の能力と献身的愛情によって、体力を取り戻せたこと、生きる希望と勇気がわいたことへの、深い感謝の念が綴られていました。4人の秘書が、手紙の一つ一つに返事を出すために働いていましたが、この仕事をこなすのは非常に大変なことでした。アナ・アスランは、届いた手紙のすべてに返事を出すという作業を、単なる礼儀と義務としてではなく、医者として重要な仕事の一つとして捉えていました。

また、キエフとアメリカ合衆国の老化研究所との研究結果の交換など、世界中を旅したアスランは、いたる所で友情の和を結んだのです。彼らの多くが患者として、アスランの治療を長期に渡って受け続けました。ドイツ人のHans Matguart氏もその一人ですが、彼はすばらしく教養があり、誠意あふれ、尊敬すべき人でした。実際には一ヶ月が過ぎていましたが、アスランの死を知ると彼は、すぐに飛行機でブカレストまでやって来ました。そして墓前にたたずみ、彼女に対する敬意を静かにあらわしてから、私に向かって言いました。

アナ・アスランと出会えたことは、非常に光栄なことでした。彼女は世界の権威であると同時に、人間的にも素晴らしい人でした。1982年当時、初めてお会いしたとき、すでに老齢であったにも関らず、彼女は精神的に少しも衰えていませんでした。彼女自身、プロ・ゲロバイタルH3 治療を受けており、そのため生涯を通じて知的能力を失うことがありませんでした。つまり彼女自身が、プロ・ゲロバイタルH3 の有効性を証明していたのです。

私自身1980年12月からずっと、アスランによる治療を受けています。彼女みずからが私を診断してくれ、治療のタイプを判断し、個人的に配慮してくれました。以後10年間、プロ・ゲロバイタルH3 の注射と錠剤による治療を受け続けています。私は現在76歳になりますが、いまだにすべての交渉ごとを指揮し、事業における必要な決断を下すなど、日常的な任務を楽しみながらこなしています。65歳もしくは、それ以前に退職する人が多い中、光栄にも現在の地位を築き上げ、複数の協会から、数回に渡って会長職に任命されました。もしもプロ・ゲロバイタルH3 を服用していなかったなら、このようなことが、はたして可能だったでしょうか?私は確信を持ってNOと言えます。

また私はこの10年間、深刻な病気に一度もかかりませんでした。こんなに長く健康状態を保てたのも、すべて治療のおかげです。プロ・ゲロバイタルH3 治療について、多くの人々と語り合いましたが、ただの一度も、治療に対して否定的な言葉を聞きませんでした。もちろん治療そのものは、奇跡を起こすような類いのものではありません。定期的に、医師の指導のもとで治療を受けることで、はじめて良い結果が得られるのです。個人的な経験からも私は、彼女の知識が、世界中の人々の間に広まることを願ってやみません。

Matguart氏は、アスランの死が、即座に発表されなかったことに困惑していました。「アナは、ルーマニアだけではなく、全人類に属していた。彼女の死が正式に公表されていたなら、このBelu墓地は、世界中から押し寄せて来た人々で、きっと一杯になったのではないだろうか?」しかし共産主義のもと、ルーマニアの人々は、彼女の世界的成功について、知ることも経験することも出来なかったのです。

プロ・ゲロバイタルH3 治療の生物学的基礎知識

アナ・アスランによって、ルーマニアのブカレストにある、老人学および老人医学研究所で、1951年から1958年の間、プロ・ゲロバイタルH3 の研究が行われました。1951年から彼女は、ヒドロクロリック-プロカインの使用を中止し、新しい製法によって作られた、プロ・ゲロバイタルH3 の研究を具体化しました。プロ・ゲロバイタルH3 は、プロカインに安息香酸を加えることで、細胞により強くアクセスできるよう、誘発修正したものです。プロ・ゲロバイタルH3 がヒドロクロリック-プロカインと違う点は、プロカインベース製品の安定性が6ヶ月であるのに比べ、2年6ヶ月という長い安定性を保つことです。

プロカイン分子がいったん人体に入ると、プロカインステレーゼによって、パラアミノベンチック酸(PABA)と、ジエチルアミノエタノール(DEAE)という、2つの代謝物に水分解されますが、これらの代謝産物は、それら自体が投与された時よりも、プロ・ゲロバイタルH3 の生体条件内から得られた時の方が、その吸収性に富みます。これは、勢力のほぼ等しい2つの代謝産物が、相対抗して、互いに屈せず競争し合うことによって、お互いの吸収率を高めるからです。またDEAEは、他の臓器に比べて、特に脳に効率良く吸収されます。

プロ・ゲロバイタルH3 に含まれるプロカインは、安息香酸に帰すべき媒質を多く含むことで、製品の減成スピードを減速させます。DEAEは、エタノールアミン、グリシン、尿素に分解され、エタノールアミンは、初めにコリン、次にアセチルコリンの総合サイクルに入りこみます。クロマトグラフィー・テクニックを使った動物実験では、プロ・ゲロバイタルH3 投与から6時間後、血液中と心臓に、完全なプロカイン分子が認められました。

ここで、プロカイン代謝との重要な違いについて、2つの仮説が立てられます。それは、ヒドロクロリック-プロカインが、溶解のpHに依存して代謝されるという点です。pH数値が7の時、プロカインは血液中に群れを成して浸透するものの、pH数値が3.3の時には、血液からゆるやかに放たれます。プロ・ゲロバイタルH3 の特性の一つとして、酸性の溶液が、物質の急な解放を減少させる点があります。コーエンは、安息香酸じたい、プロカインステレーゼの働きによって、プロカイン分子の弱みを保護できる間隔に、みずからを配置させる能力のあることを示しました。さらに重要なことは、Kイオンが、神経と筋肉組織におけるプロカインの働きを増幅させるということです。ゴードンは、プロ・ゲロバイタルH3 とプロカインの違いについて比較した結果、重大で定位的な違いが、プロ・ゲロバイタルH3 にあることを発見しました。実験はアスランによって引き継がれ、プロ・ゲロバイタルH3 とプロカインの決定的な違いとして、老齢患者における、条件づけられた管と、条件づけられていないものとの、反射的作用を上げました。

プロ・ゲロバイタルH3 は、人体に対して、完全な分子として、また規定の媒介代謝に関与する、PABAとDEAEの加水分解を通して作用します。またプロ・ゲロバイタルH3 は、アセチルコリン化合物を作り出すとともに、葉酸の根源となります。実際のところ、これらの研究結果として、PABAとしてのプロカインは、腸内細菌叢、生産物である葉酸、ビタミンK、そしてチラミンを刺激するという仮説を立てることができるでしょう。アスランの製品が細胞にもたらす効能は、他に類を見ない独自性を持ち、人体内器官の役割が拡大する可能性を示しています。多数の神経作用の向上は、ある特定の意義をもたらすものですが、Yauは、プロ・ゲロバイタルH3 の薬理学的研究に取り組み、以下のような基礎メカニズムの概要をまとめました。

* プロ・ゲロバイタルH3 は、拮抗的そして反転的に、モノアミン酸化酵素(MAO)を抑制する。
* プロ・ゲロバイタルH3 は、脳のモノアミンレベルを緩和することで、抗うつ薬として作用する。
* プロ・ゲロバイタルH3 は、選択的オキシターゼ脱アミノ基の抑制において、非常に選択的である。
* プロ・ゲロバイタルH3 における、酸化力を持つモノアミン脱アミノ基は、血圧過剰のピークを排除することで、概して他のMAO抑制剤の投与後も存在する。
* プロ・ゲロバイタルH3 は、神経細胞膜の自然な状態を維持し、皮質と皮質下システムレベルにおける、刺激と抑制のプロセスの均衡を、回復させる役割をはたすと考えられる。
* プロ・ゲロバイタルH3 は、神経栄養中枢において、重要で標準的な作用を、長期に渡って持続的に行使する。

さらに、これらの実験によって、プロカインのアナボリック作用が明らかにされました。滴虫亜門(ツリガネムシ)を使った弱プロカイン液剤の研究結果として、細胞の増殖が認められ、またラットによる研究の結果、プロカインのアナボリック効果として、毛の質の向上が見られました。Bergerは、年老いたラットを使った実験で、体重1kgに対して6mgのプロカインを投与し、似たような結果を得ましたが、その一方でVerzarが、体重1kgに対して25mgのプロカインという、オキシドレダクションを抑制する量を投与したところ、何の変化も見られませんでした。この相反する二つの研究結果を追求するため、1800年アスランは、白ねずみを使ったゲロバイタラルH3 実験を開始しました。実験の結果プロ・ゲロバイタルH3 は、腺の活動を総体的に向上させ、肺疾患に対する抵抗力を高め、心筋の変形を減少させることが分かりましたが、比較対象のために管理を行わなかったグループには、少数の内発的腫瘍が発生しました。

脂質へのプロ・ゲロバイタルH3 作用は、ライポトロープ、へパリノイド、ライポコンバーティングの特性に反映しますが、アスランによるプロカインベースの製品は、数種の仕組みによるアテローム発生のプロセスにおいて、その効能を、長期に渡って、持続的に行使させます。

* プロ・ゲロバイタルH3 は、プラスマティック・リポ蛋白質と、脂質のレベルを減少させる。
* プロ・ゲロバイタルH3 は、赤血球の膜組織の働きを高めて溶血現象を防ぐことで、長期的にその効果を持続する。
* プロ・ゲロバイタルH3 は、膜組織構造の酸化ストレスを引き下げる、抗酸化剤のメカニズムを持つ。またRussuet colが、プロ・ゲロバイタルH3 が、非酵素システムの超酸化物基世代制御性に対し、長期的に作用することを発見する。

これらの結果からプロ・ゲロバイタルH3 は、脂質代謝に関して、漿液の総コレステロールを緩和させ、リポ蛋白質画分比率と、不飽和の脂肪性酸の内容を変化させることが分かった。

国際的な確証

プロ・ゲロバイタルH3 療法に関する研究は、医学的また科学的機関で、500件以上も試みられたことにも、言及しておかなければならないでしょう。これらの実験は、アスランのオリジナル製品と治療法、およびプロ・ゲロバイタルH3 の有効性を、再確認するものでした。例をあげると、1975年6月、エルサレムで行われたインターナショナル老人学協会、第10回総会の席で発表されたデータ、1977年開催のヨーロッパ臨床的老人医学会議での、新しい事例などがあります。エルサレム総会でのセッションでは、プロ・ゲロバイタルH3 のメカニズム研究を通して、老齢薬理学が著しく発展したと見なされ、閉会スピーチでは、アメリカのNathan. Shock教授により、プロ・ゲロバイタルH3 の成功が述べられました。

エルサレムでは、プラシーボ実験に関する研究論文を発表したアメリカ人科学者達に、人々の興味が集中しました。なかでも、非常に有名で、心理学テスト作成者から尊敬されている、ノース・カロライナDuke大学のウィリアム・Zung教授は、うつ症状に苦しむ彼の高齢患者への、28日間にわたる治療の研究に精力を注ぎました。治療の前、最中、そして治療後に行われた一連の心理学的テストの結果、うつ病治療における、プロ・ゲロバイタルH3 の効果が証明されました。

また、パームスプリングスのM.Kurlandや、カリフォルニアのM.Haymanらが、年齢45歳から80歳の63名のうつ患者のうち、33名にプロ・ゲロバイタルH3 を、残り30名に偽薬を服用させるという、プラシーボ実験についての本を出版しています。それによると、診察の結果うつ病には、躁うつ病、反応性うつ病、器質大脳性うつ病、慢性躁うつ病、アルコール性うつ病など、さまざまなタイプがあることが分かりましたが、プロ・ゲロバイタルH3 は、そのすべてに適応することが証明されました。このプラシーボ実験による発見は、統計学上、非常に意義のあることです。

年齢とともにMAOレベルが増加するのは、すでに周知の事実ですが、プロ・ゲロバイタルH3 が、MAOを抑制することを証明したMcFarlane医師は、プロ・ゲロバイタルH3 には何の有毒性も見られないことを証明し、MAO抑制剤として可逆的で、拮抗的であることを確認しました。

その後、これも世界に名だたるイギリスの老人学者であるArex. Comfortが、『老化と発育のプログラム』という雑誌に、プロ・ゲロバイタルH3 と、アナ・アスランの治療法についての論評を掲載しました。またドイツのバーデンで1983年-の11月に行われた、Medizi-nischewoche国際会議の老人学・老人医学セクションの席上、Paul.Luth教授が、「アスランの治療法は、老人医学において、最も有効で役立つものである」と述べました。

アナ・アスラン博士による、プロ・ゲロバイタルH3 の効果的な予防と治療法

1947年から1949年の間、医学博士としてのアナ・アスランは、Lorichの仕事に大きく影響されました。関節炎治療にプロカインを用いることで、栄養補給面での問題や、その鋭い痛みを取り除くことに、驚くべき成果が得られました。これは、彼女が初めから明言していたことで、「痛みを訴える寒栓症患者の、大腿骨動脈に注射を1回すると、痛みが即座に退いていくことに気づきました。このことから、鋭い痛みを伴い、関節を固定によって長期的に動けなくなってしまう、疾患の重い患者に対しても、同じ治療を応用することを考え付きました」

臨床上の診察結果は、老化と慢性病の、予防と治療に貢献する、独創的で重要な効果を示し、アスランを裏切ることはありませんでした。大腿部に注射を受けた患者達は、治療後、全身から痛みが退いたと証言したのです。これにより彼女は、プロカイン投与に、総体的効果があることを結論づけました。1949年初めアスランは、個人病院での治療を開始しましたが、治療を通して地域社会が向上すると、それに伴い、老人達の身体的、精神的状態も、同時に良くなることに気付き始めました。またこの時期は、後に彼女に素晴らしい結果をもたらした、動物実験に基くリサーチを始めた頃でもありました。

私は、老化のプロセスと、退行性の病気に対して、プロカイン治療を導入することを力説します。またアスランには他にも、以下のような、治療の基礎に関する、独自の貢献事項と治療法があります。

* アスランによって、プロカインの長期治療が提案された。

* アスランは、全く新しい治療法である、彼女独自のスケジュールに従って、プロカインの筋肉注射を行った。

* それまでプロカインは、局所麻酔や皮下注射、静脈注射、まれに動脈注射といった方法での、短期治療に限って使用されていた。

現在、プロ・ゲロバイタルH3 として知られ、より優れた効能を持ち、副作用も見られない、プロカインの新しい製法が発見されたことは、本当に素晴らしいことです。

プロ・ゲロバイタルH3 に関する実験は、1951年から1958年の間、ブカレストにある老年医学・老人学協会にて行われました。1952年から、何千人もの患者を対象に25年間も続けられた臨床実験は、世界でも他に例のない、珍しいものでした。プロ・ゲロバイタルH3 は、プロカイン分子、PABA、DEAEから成る合成薬ですが、安息香酸、カリウム、ニナトリウム燐酸塩が加わることで、病原体の覚醒現象に対する治療においても、その効果が強まりました。

プロ・ゲロバイタルH3 の適応

プロ・ゲロバイタルH3 は、老化の過程を遅らせる、慢性退行性疾患の治療などを目的に、40歳以上のの人々を対象に使われます。

  • うつ症状の改善と緩和。
  • 注意力散漫、集中力の欠如、認識力低下、自立神経失調症。
  • 慢性疲労シンドローム。
  • 不眠症。
  • 外皮性発育不全、栄養性潰瘍、無緊張性創傷。
  • 骨関節症、変性リウマチ、骨粗鬆症、骨折時の硬着。
  • 性的能力の向上。
  • 積極的抗アテローム因子として大脳と末梢神経に働きかけ、動脈梗塞、半身不随、関節の痛みなどを癒す。
  • パーキンソン病。
  • 毛髪および肌の状態の改善と、抜け毛予防。
  • 超酸化物ラジカル世代を抑制する、非常に強力な抗酸化剤であり、フリーラジカルを排除する。

治療の成果

  • 生きる喜びを取り戻した。記憶力、注意力、集中力の向上。物事を楽観的に見られる。
  • 情緒的になり、精神と身体のバランスが良くなる。
  • 自己治癒力と運動能力が向上する。
  • 環境に適応する能力が高まり、感染に対する抵抗力が強まる。
  • 内分泌機能のバランスを保ち、発情物質を再発生させ、男性ホルモンを再活性化させる。
  • 視覚的、聴覚、精神の鋭敏性を向上させる。
  • 錐体外路の硬直を減少させ、歩行と運動能力を高める。
  • 肌と爪の栄養状態を高めて、それらの健康状態を良くする。
  • 毛髪を刺激して栄養を行き渡らせ、その質の向上を図る。
  • 血液の循環を良くする。
  • 慢性病、慢性リウマチ、アテローム性動脈硬化症、気管支喘息、乾癬、白斑、静脈瘤潰瘍などの諸症状を軽減させる。
  • 生活を向上させ、老化を遅らせ、慢性病を予防する。
  • 性的能力の向上。

プロ・ゲロバイタルH3 の管理メソッド

プロ・ゲロバイタルH3 の長期治療は、アスランによって確立されました。治療開始当初は、注射投与のみが行われていましたが、治療に先駆けて、耐性テストが必ず行われました。それはまず、1mlのプロ・ゲロバイタルH3 を皮下注射投与し、その翌日、筋肉注射によって2ml投与した後、しばらく様子を見るというもので、検査の結果、耐性に問題が無ければ、そこで初めて正式な治療が開始されました。ルーマニアでは、30万人以上もの患者に対して治療が行われましたが、不耐性であったのは、7000人に一人という、極めて少ないものでした。

1957年アスランは、経口投与の効能を追求するため、臨床的および経験的な、相対的調査を始めました。錠剤による服用で、注射投与時と同じ効果を得るためには、2倍の服用量が必要であるという事実と、患者を正確に管理することの難しさという点を考慮した結果、アスランは、注射と錠剤服用という、二つの投与方法の組み合わせによる、新しい治療法を確立しました。

予防

老化と慢性病の治療においては、注射投与12本ワンセットのコースと、錠剤24錠ワンセットのコースを、それぞれ4回受けます。12本の注射を、1週間に3本の割合で4週間投与した後、4週間の停止期間を設け、その後、食間に1錠ずつの錠剤を、1日に2回という割合で、合計24錠を12日間かけて服用します。そしてさらに、2週間の服用停止期間を設けた後、もう1度初めから、同じサイクルで投与します。年齢40歳から始める治療の場合、1コースのサイクルとして、13日間に25錠の錠剤を、2ヶ月の間隔を空けながら服用することが勧められています。まず治療の初日、朝食から2時間後に1錠を服用します。翌日からは1日2回、食後2時間経ってから(例えば1回目を朝の10時、2回目を夕方4時というように)、それぞれ1錠ずつ服用します。治療は1年間に5コース、65歳を越える人の場合、6コース受けるべきです。

治療

慢性病の治療には、1年間に12本の注射投与を6コースと、24錠の錠剤5コースが必要になります。12本の注射を4週間かけて投与した後、2週間の停止期間を設け、24錠の錠剤を、食間に1日2回それぞれ1錠ずつ、12日間服用します。さらに2週間中断した後、もう1度初めから同じ方法で投与します。服用停止期間は、医師の判断によって、短くしたり、長くしたりすることもできます。また、初回および2回目の注射は、反応性を調べるため、1日1回の割合で投与することも可能です。


プロ・ゲロバイタルH3 治療は、病気の種類や、それぞれの病状、老化過程の違いや患者の年齢などに応じて、個別に行えます。関節炎の場合は、動脈内に投与することで、よりいっそうの効果が得られます。アスランは、膝の関節など、関節炎や老化現象の治療には動脈注射を、大脳に関する発作には、静脈注射を提唱しています。

禁忌症状

プロ・ゲロバイタルH3 の服用については、以下の点に十分注意して下さい。

* ノボカインやプロ・ゲロバイタルH3 に対して、アレルギーや過敏症状のある人は服用できません。

* エセリンやネオスチグミンと併用して服用することはできません。

* スルホンアミドと同時使用することはできません。

* アンチ・バクテリア治療と並行して使うことはできません。

副作用

プロ・ゲロバイタルH3 には、あまり副作用が見られません。注射投与の場合に限って、まれに副作用が生じることもありますが、それは7000に一人という、非常に低い確率です。服用後、熱っぽく感じたり、金臭い味覚を感じたりすることがありますが、治療を続けていくと、そういった症状は治まってきます。痣や腫れ、痒みなど、皮膚に関する副作用が出た場合は、治療をいったん中止して、発疹の引いた後に、耐性テストを受けて下さい。プロ・ゲロバイタルH3 の使用を中止した後も発疹が退かないようであれば、抗アレルギー性製薬による治療を受けて下さい。

MAO抑制剤であるにも関らず、プロ・ゲロバイタルH3 は、通常のMAO抑制剤のように、チーズのような食べ物に含まれる、チラミンに干渉しません。これは言い換えれば、現在知られている限りでは、プロ・ゲロバイタルH3 と食べ物の間に、不適合性が見られないということです。ネオスチグミンとの相互作用は、バクテリア代謝における競合の原因となります。多量の投与は、400mgの急速静注注射の後でのみ行い、治療法は、あらゆる急性中毒に対するものと同じです。

IASからのコメント

アナ・アスラン博士の偉業のおかげで、私達は、老化も病気の一つであり、その治療が可能であるということに気付かされました。今日なお、プロ・ゲロバイタルH3 は、他の抗老薬を引き離し、常にトップの座を守り続けています。プロ・ゲロバイタルH3 が、予防と治療という二つの立場で、広範囲に渡って効果を持つことを考えると、これも何ら不思議なことではないのかもしれません。極めて低い毒性と、副作用事例の少なさから考えて、プロ・ゲロバイタルH3 は、老化現象に苦しむ人達にとって、安心して長期使用ができる、必要不可欠な製品であると言えるでしょう。

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